ある医師紹介会社の仲介により、好条件での転職がほぼ決まっていた。にもかかわらず、契約直前になって話は白紙に。聞けば、若い医師が自分に代わりに採用されたという。決定が翻された原因は一体何だったのか。
——そもそもなぜ産業医になろうと思われたのですか?
たまたまアルバイトで企業の健康診断に行く機会があり、産業保健に興味を持ったのがきっかけです。臨床の現場から離れることに多少躊躇しましたが、もともと私は他学部出身ですから、方向転換自体にはあまり抵抗がなかったですね。それに、私は同期の中でも年長でしたし、子供が既に大きかったので、これ以上転居を伴う転勤をしたくなかったのということも理由の1つでした。
——医局を離れ、産業医に転身する際にはどのような活動をしたのですか?
その当時はインターネットなどない時代ですから、『医事新報』の求人欄を見て、自力で転職先を探しました。それが今の勤務先です。私が所属していた医局は自由な雰囲気で縛りがなく、医局長に転職したい旨を相談したら、すんなり承諾してくれました。辞めるときに色々言われずに済んだので、ラッキーでしたね。年収は1200万円から1000万円程度に下がりましたが、それでも満足のいく転職だったと思います。
——そして、今の勤務先からまた転職を希望されているのですね
私は医学部に入学以来、ずっと関西に住んでいるのですが、そろそろ両親が住んでいる関東へ移って、親孝行をしたいと思ったからです。2人とももう高齢ですし、これまで散々好きにやらせてもらいましたからね。
関東に戻りたいというのが一番の理由ではありますが、正直なところ現在の職場にもいくつか不満があります。1つは業務が年を追うごとに忙しく、煩雑になっているにもかかわらず、年収が長い間据え置きになっていること。もう1つは以前から、処遇改善の話が出ているものの、なかなか具体化しないことです。いくら申し立ててもこうした不満が解消されないこともあって、転職活動を始めました。
——具体的に、どのような活動をしたのですか?
今年の春ごろから本格的に活動を始めました。最初にインターネットで複数の医師紹介会社へ登録し、その中の1つを通じて、「これは」と思う企業と交渉を進めました。選考の過程では、紹介会社の担当者を介して、先方と会い、条件面などかなり突っ込んだ話を1時間以上にわたってしました。このときかなりの好感触だったので、内心「これはもう決まりだな」と思っていました。