関連病院を転々とする生活に疑問を感じ、医局を辞め、かねて希望していた海外の病院へ自力で転職。しかし、着任からわずか1年後、突然の退職勧告を受ける。


木村雄介(仮名)さん
1998年に某私立医大を卒業後、出身大学外の医局へ入局。約10年間勤務した後、医局を辞め、日本人が経営するアジア地域の病院へ赴任。約1年の勤務の後、2回目の転職。現在は“雇われ院長”として、オープンしたばかりのクリニックを任されている。30代、妻と2人暮らし。

——転職歴を教えてください。

 大学卒業後、出身大学外の医局へ入局し、約10年間勤務しました。その後、医局を辞めて、海外の病院へ赴任し1年勤務した後、日本へ戻り、今のクリニックに入りました。

——1回目の転職の経緯を教えてください。

 医師になって10年近く経ったときに、ふと疑問がわいたんです。「このまま関連病院を転々としたとして、この先どうなるのだろう…」と。そんな気持ちもあって、「学位を取らせてほしい」と医局に申し出て了承されていたのですが、それも結局うやむやになってしまいました。このまま医局にいてもただ消耗するだけで、自分自身の成長につながらないと思い、思い切って医局を辞めることにしました。

 そうと決めたら一刻も早く話そうと、教授のアポを取り、直談判しました。初めから教授に話を持っていったのは、医局長に言ったところで、らちが明かないと思ったからです。最終的な決定権は教授にあるし、中途半端に伝わってうわさになる方がよほど困りますから。ただ、ちょうど医局を辞めたいと申し出たのが年度末だったこともあり、教授からは強く慰留されました。「来年度の人事は既に決まっているし、今ごろ急に言われても困る。とにかく1年は待て」と言われ、結果的に1年間待って辞めました。

 強行すれば辞められたのかもしれませんが、できるだけ円満に事を進めたいと思っていたので、教授に従いました。局内での雰囲気は「去る者は追わず」という感じでしたね。別の医局にいる私の友人には、辞めるまでに3年間もかかり、しかもその間、周囲から陰湿な嫌がらせを受けたという人もいましたから、それを思えばかなり楽でした。

——医局を辞めた後、アジアの病院に赴任されたのはなぜですか。

 かねて、一度海外で暮らしてみたいと考えていたため、これはちょうどよい機会かなというシンプルな理由です。妻も海外生活にあこがれていたようで、すぐに賛成してくれました。実際インターネットで探してみると、求人は意外なほどたくさんありました。その中の1つの求人に、医師紹介会社を通さず、自分で直接アクセスしました。

 なぜあえて自力でやったかというと、前に紹介会社を通して応募したとき、書類選考で落とされたことがあったからです。恐らく競争率が高かったのだと思いますが、このときの経験から、「ただ履歴書を提出するだけでは、希望する病院へ行けそうにない。だったら自分でアピールして、自分の行きたい病院へ行こう」と考えたのです。