——“クビ”を言い渡されたとき、どう思いましたか?
予想外のことでとても驚きました。渋々とはいえ教授の了承を得ていたので、除名までされるとは思ってもいませんでした。教授はよほど腹に据えかねていたんでしょうね。よくよく思い起こしてみれば、A病院に行くと決まった時点で除名は決まっていたような気がします。僕のような人間が増えたら医局の人事は回りませんからね。医局の秩序を乱さないために、「ルールを守らないとどうなるか」ということをほかの局員に示す、“見せしめ”的な要素があったのかもしれません。今から思うと、僕が甘かったんでしょう。
僕自身、勉強はしたかったけれど、医局を離れるつもりなんて全くありませんでした。そんなことを一度だって考えたことがなかったんです。それなのに、自分のわがままが原因とはいえ、医局という真っ当なラインから一方的に切り離されて、目の前が真っ暗になりました。
——医局を“クビ”になった後、どうしましたか?
A病院での研修期間は最初から1年と決まっていたので、それは焦りましたよ。少なくとも1年後には仕事がなくなり、自力で次の職場を探さなければならないんですから。そこで、研修が終わる半年ぐらい前からインターネットで仕事を探し始めました。当時(2001年ころ)は今ほど医師紹介会社の数も多くなく、苦労しました。誰かに相談しようにも、周りに転職経験者は1人もいませんでした。
それに僕自身まだ医師としてのキャリアが浅く、とてもぜいたくは言えない状況でした。医師になって4年足らず、専門医の資格もなかったですから。紹介会社から「(紹介できる病院が)ないですね」とはっきり言われたこともありました。このため、出していた条件は「小児科」「自宅から近いこと」の2つのみ。そうして探すうち、やっと条件に合う病院が見つかり、何とか仕事につくことができました。
A病院での研修期間終了後、B病院を経て、今はC病院で勤務しています。アルバイトで入り、1年後に常勤になりました。もっと前から「常勤になってほしい」という話はあったのですが、早まった決断はしたくなかったので、慎重に慎重を期しました。
B病院は小規模な総合病院で小児科医は2人しかおらず、やるべき仕事が多く、とにかく忙しかった。その点、今のC病院は小児科医が4人いるので仕事の負担は少なく、休みも自分で選べます。年収は1800万円。金銭面では全く不満はありませんが、やっぱり「医局にいたかったな」と今でも思いますね。
——なぜ、「医局にいたかった」と思うのですか?
今の立場が「主流じゃない」からです。これに尽きます。ほかの先生たちと会話をしていても特別視され、「自分が主流ではない」ことをひしひしと感じるし、学会に行ったときなども所在ない。最近はそうでもありませんが、医局を離れたばかりのころは、僕みたいに医局に属さない人間は圧倒的少数だったので、特にそうした思いが強かったですね。そうした気持ちの問題だけでなく、大体において医師の世界は“医局ありき”なんです。例えば、専門医の資格も医局にいた方が断然取りやすいですから。
——医局の良さはほかにどんなところがありますか?
アドバイスをくれる人がいるということです。自分の近くに「こんな勉強をしたらどう?」「これを学ぶにはこうしたらいい」と言ってくれる人がいたらどれだけ心強いか、ありがたいかと今しみじみ感じています。医局を離れると、何でも自分でやらなくてはいけない。勉強にしてもそう。だからときどき「こういうやり方で良かったのかな」と悩んだりします。
今、医局を離れる人が増えていますが、医局にいるのも悪くないと思います。僕は医局を辞めたくて辞めたわけではなく、辞めさせられて苦労しましたから。
以前の医局の同僚とは今でも付き合いがあります。彼らと話していて、「もし自分があのまま医局に残っていたらどうだったろう」と想像することがありますが、今さらどうにもなりません。A病院に行ったことについては後悔がなく、貴重な経験が積めて良かったと心から思っています。それでも、揺れ動くところはあります。「あのときは勉強したい一心で突き進んだけれど、もっとうまい方法があったのかもしれない」と。どうするのが一番だったのか。その答えが出るのはまだまだ先のような気がします。