このまま医局に入って医師になるか? それともバックパッカーとなって世界を旅するか?——。迷った末に医師になる道を選んだものの、結局、入局から1カ月後に医局を辞めて海外へ。そんな異端児が1年後再び医療の世界へ戻り、消化器外科医として再出発。目標が定まった今、自身の腕を磨くべく、自力でキャリアアップを目指す。


柳生尚希(仮名)さん
2001年私立医大を卒業。入局わずか1カ月で出身大学の医局を辞め、アルバイトで貯めた資金を手に世界各地を放浪する旅へ。1年後、再び医師の道に戻り、A病院に非常勤医として入る。その後、「オペの技術を磨きたい」と、医師紹介会社に頼らず自力でキャリアアップを図り、約2年ごとに勤務先を変える。現在はA病院から数えて4つ目の病院に勤める。30代、独身。父は泌尿器科の開業医。

——そもそも、医師になりたかったのですか?

 大学を卒業するときに、「医師になるか、バックパッカーになるか」で悩んでいました。「あんた、何を言っているんだ?」と思われるかもしれませんが、その時点では医師になる覚悟が、まだできていなかったんです。そんな宙ぶらりんな気持ちのまま医局に入ったので、仕事が全く楽しくなかった。「父親が泌尿器科の開業医だから」という理由で、泌尿器科を選んだのも今から思えば良くなかったんだと思います。

 それに、入った医局は大学の延長線上にあり、メンバーがほとんど変わらないという環境も好きになれませんでした。別に誰が苦手とかそういうことではなかったのですが、「この先ずっと同じメンバー、ずっと同じヒエラルキーの中でやっていくのか」と考えると、息が詰まってしまって…。たぶん僕は、一つのところに長くいるというのが性に合わないのだと思います。

 「こんな気持ちのままでは、医局にいられない」と、わずか1カ月で辞めました。あまりに短かったせいか、誰からも引き留められることはなかったですね。また、医局を辞めたことは、父親には相談どころか、報告すらしませんでした。時間が大分経ってから、医局を辞めたことが伝わったのですが、その時には「勝手なことをして! 家の敷居をまたぐな!!」と言われてしまいましたね。

——医局を辞めて、その後どうしたのですか?

 念願のバックパッカーになりました。大学時代の先輩に、検診や当直などのアルバイトを紹介してもらい、海外に行くための費用を貯め、約1カ月後に出発。東南アジア、オーストラリア、ニュージーランド、ニューカレドニア、アメリカ…と、まわりました。

——旅行中はどんなことを考えていたのですか?

 旅自体はとても楽しかったのですが、時折「僕は何をやっているんだろう?」と自問自答しましたね。バックパッカーとなって世界を旅して分かったことは、「人間、どこに行っても変わらないんだな」ということ。それが分かってからは、「いずれはまた元に戻るんだろうな…」とぼんやり考えていました。そんなときに、アメリカで同時多発テロ事件が発生し、次の目的地としていたメキシコへ渡れなくなってしまいました。ちょうどお金も底をつきそうだったので、いったん日本へ戻りました。

 帰国後、大学時代の先輩に久しぶりに会ったら、「そんなこと、いつまで続けんの? 医師として働かないのか?」と心配してくれ、A病院を紹介されました。自分でも「ずっと今のままではいられないな」と思っていたので、採用試験を受けることにしました。試験は簡単ではなかったし、倍率も高かったのですが、なんとか無事採用されました。内定をもらったのが秋で、実際に勤務するのは4月からだったので、この期間を利用してまたブラジル、フィリピンに行ってきました。「行けるのは今しかない!」と思ったからですが、これで大分気が済んだかもしれません(笑)。