「うちの方針に合わないなら、辞めてもいいよ」「そうですか。では辞めさせていただきます」。派遣された病院の上層部から常に横やりが入り、やりたい医療ができない。何度繰り返し進言しても聞く耳を持ってくれない——。志がある同僚が次々と辞めていく中、いらいらが募る毎日に嫌気がさし、退職を決意する。


丸田治(仮名)さん
1989年に私立医大を卒業後、出身大学の医局へ入局。数カ所の関連病院を経験する。2008年、派遣先の上層部と医療方針を巡り、対立。「このままでは自分が目指す医療ができない」と、医局の了解を得たうえで関連病院を退職。現在は一時的に医局人事を離れ、ベッド数約100床の一般病院に勤務する。40代、妻と二男の4人暮らし

——転職の経緯について教えてください。

 転職に至ったのは、医療方針について、派遣されていた病院の上層部と全く合わなかったことが理由です。その病院には、医局から派遣されて3年間在籍しましたが、いつからか現場のことについて上層部から横やりが入るようになって…。院長はとてもいい方だったのですが、その上の階層の、直接の上司でもない人たちからの横やりが入るのです。

 例えば、我々現場の医師は、「今の診療体制を変え、癌を専門に見るチームを独立させるなど、“チーム医療”の体制を整えるべきではないか?」と提案したのですが、上層部は「医師全員が、どんな疾病でも診れば良いんだ!」といって、全く相手にしませんでした。このほかにも、現場医師が「患者さんのために、変えた方が良いこと」について、いくつも進言したのですが、ことごとく却下。それも、議論をした上で却下するのではなく、医師側からの提案については、最初から聞く耳を持たないのです。私は、現場を無視するそんなやり方、そして上層部が、とても我慢なりませんでした。

 大きな病院にいれば、自分の思うようにならないことが少なくないことは、当然分かっています。「医局から派遣されてるわけだし、そう簡単に辞めることはできない」「ここは目をつぶって我慢しようか…。自分なりにできることをやればいい」。そんな感じで割り切ろうと一時は思いましたが、やっぱり無理でした。息苦しい環境で仕事をするのが嫌になったんです。結局、最後は「うちの方針に合わないなら、辞めてもいいよ」と言われ、「そうですか。では辞めさせていただきます」と退職を決めました。

——辞めることについて、医局にはどう報告したのですか?

 ほとんど事後承諾のような形で、医局長に「2週間後には今の病院を辞めたい」と話をしました。医局長は僕が研修医時代、チーフレジデントだった人で、気心が知れた間柄。「教授には僕から話すから」と言って、とりなしてくれました。教授も、その病院の実態について知っていて、「まあ、しょうがないな」という感じでした。そもそもうちの医局は、私大のせいかのんびりしていて、教授にさえ物申しても大丈夫という雰囲気がありました。だからこそ、いわば勝手に退職を決めた僕にも寛容だったのでしょう。このため、今でも医局には属しています。そんなふうに話すと、他大学出身の先生には驚かれますが。