病気を理由に、わずか半年で医局を離れた後、自力で希望する病院に研修医として勤務。そこで研さんを積んだものの、身分は7年たってもレジデントで非常勤のまま。もうけ主義に走る病院の雰囲気にも嫌気が差し、他県の医療局を頼って転職に成功する。


竹下恵(仮名)さん
2002年に大学を卒業後、一度は出身大学外の医局に所属したものの、病気を理由に半年ほどで医局を離れる。自宅療養を経て、個人病院で1年半勤務した後、A病院に研修医として入る。7年間勤務し、退職。現在はB病院の常勤医として勤める。30代、独身。父は開業医。

——ほとんど医局に属したことがないのですね。

 大学卒業後、いったん出身大学外の医局に入りましたが、大学在学中に患った病気が再発して、不本意ながら、半年ほどで辞めることになりました。当時は「医局に属さない医師は医師にあらず」といった風潮が強かったので、退局したらどうなるのだろう、と不安な気持ちでいっぱいでした。

 その後は自宅療養を経て、個人病院で1年半働き、そして、A病院に研修医として入りました。以前からやってみたい専門領域があったので、将来的にその領域で経験を積めそうな病院を探し、それに合致したのがA病院でした。「研修医として働きたい。どうしたらいいか」と問い合わせをし、病院見学、面接を経て、採用が決まりました。

 結果的にA病院には7年間在籍しました。自分のやりたい領域に携わることができ、その点ではとても満足しています。

——それでも転職に踏み切ったのはなぜですか。

 私が入った頃はそうでもなかったのですが、あるときから急に、経営陣が拡大路線に走り、人を大事にしなくなったからです。研修医を大量採用し、患者という患者は全て受け入れ…。当然、医師たちは激務に追われるようになりました。

 にもかかわらず、何の見返りもなく、ただ「頑張れ」と言われるだけでした。それだけならまだしも、多忙で業務をこなせないと厳しく注意されました。業務量も、組織の規模も拡大するなか、当然業務を支える仕組みも整備しなければならないのに、病院側は何もせず、「根性を出せば何とかなる」とでも思っているようでした。

 医師の通常業務だけでなく、雑用も多い病院でした。例えば、予約時間の変更も医師の仕事でした。だから診察中でも、患者さんから「予約した時間を変えてほしい」という電話がしょっちゅうかかってくるのです。当直のときなどは、診療とは関係ない、一般の方からの問い合わせの電話に対応させられることもありました。

 医師は疲弊し、病気で次々と倒れていきました。以前は、一人ひとりを丁寧に診察し治療する病院として患者さんからの信頼も厚い病院で、私もそこがとても気に入っていたのです。それが、現場が忙し過ぎて、そんな治療もできなくなっていました。