医学部卒業後、救急医療に7年携わった後、小さな村の診療所に転職。そこで医療チームの責任者として経営面でのノルマも課せられながら2年奮闘した。しかし、医療現場の声が、経営母体である本院の事務方に全く届かないことに不満を覚え、2度目の転職を決意。2012年春から新しい職場に勤務する。


石田千明さん(仮名)
2003年に地方大学医学部を卒業後、母校の地元の救急病院に7年間勤務。主に救急医療に携わる。その後、2010年に転職して診療所勤務となり、小さな村のプライマリケアに2年間従事。その後転職し12年春からは新しい医療機関に勤務。小学生の子供を持つシングルマザー。30代。

——最近2度目の転職をされたとのことですが、それまでの経緯をお聞かせください。
 私は地方大学の医学部を出た後、そのまま母校近くの救急病院に7年間勤務しました。しかし、信頼を置いていた上司が退職した後、私が救命救急を1人で担当し、さらに研修医の監督も任されるという厳しい状況になったため、知人の紹介で小さな村の診療所に移ったのが1度目の転職です。

 村の診療所には、今年の3月までの約2年間勤めました。村内に診療所は2カ所しかなく、医師の数も十分ではない環境でしたので、救急医療はもちろんのこと、小児の診察から看取りまで対応するプライマリケアに当たってきました。

 最初に勤務した救急病院は、重症度や診療科に関係なく、時間外受診の患者全てに対応する、いわゆる“北米型のER体制”をとっていました。そこで私は、重症度が様々な数多くの症例と接してきました。その経験は、村の診療所でプライマリケアに当たる際にも大いに役立ちましたので、医師として、忙しくも充実した2年間を過ごすことができたと思います。村の患者さんに感謝される場面も多く、私自身、患者さんにとても温かく接していただき、やりがいも感じていました。しかし、しばらく勤務するうちに分かってきたのは、「現場側」と「経営者側」の温度差が非常に大きいということでした。

——「温度差」とは、具体的にどういうことでしょうか。
 診療所は、比較的大きな病院の附属で「分院の診療所」という形をとっていました。実は、私が転職してきた当時、この診療所は1千万円の赤字を抱えていました。診療所長として赴任した私は、患者数を増やすことや赤字解消といった経営面でのノルマも課せられていましたので、まずは診療時間の見直しから始めました。路線バスの運行時間を踏まえた時間帯に診療をすることで「通いやすさ」を向上し、患者数増を図ったのです。その結果、3〜4カ月のうちに患者数は1.5倍に増え、赴任から1年後に診療所は黒字転換しました。私としては初めての経験でしたが、「村民にとって最良の医療とは何か」を考えて、改善を進めた結果だと思っています。