C病院には1995年から4年間勤務しました。途中、A先生が不慮の事故で入院することがあり、その時は1カ月半、1人で呼吸器内科を切り盛りしました。今となっては笑い話みたいなものですが、まあA先生にはいろいろ迷惑をかけられましたよ。
この頃はとにかく忙しかったですね。当直回数も多く、しょっちゅうポケベルで呼び出される。よく働いていました…。なかでも心底「疲れたなあ」と思ったのは、誤嚥性肺炎などの高齢の入院患者さんが、今まで担当していた診療科から呼吸器内科に回されてきたときです。厳しい局面でいきなり主治医になって、人工呼吸器を付けるか否かといったデリケートな話を患者の家族に説明しなければいけない。「みんなができれば避けたいと感じている役割を担わされた」、そんな気持ちでいましたね。
そんなこんなで燃え尽きてしまったんでしょうね。ちょうど医師になって10年という節目でもあったので、今後の身の振り方を考え始めちゃったんです。専門医や内科認定医の資格は取った。子どもの教育の問題もあるし、そろそろ落ち着きたい。A先生には世話になったが、これからは1人でやってみようかって。
そんな時、当直でたまたま手にした雑誌を見ていて目に飛び込んできたのが、今の勤務先の募集記事でした。都心のオフィス街にあるクリニックです。今のまま呼吸器専門でやっていくことも考えたのですが、ハードワークで疲労困憊の状態にあったことと、子どもの受験や自宅の新築などが同時期に重なったため、とりあえず落ち着くまでは今までと比べて時間的な余裕が持てるクリニックで働くことにしました。
A先生にはもちろん転職前に相談しましたが、気持ちよく送り出してくれましたね。けんか別れにならず良かったです。
——新しい勤務先はいかがでしたか。
都心のオフィス街にあるクリニックで当直もなければオンコールもない。すごい解放感でしたね。年収はC病院の時の1300万円から1600万円に上がりました。2002年からはクリニックの院長として、6〜7人のスタッフを束ねています。