血液内科医としてバリバリ仕事をこなして20年余り。ふと言い知れぬ疲れを感じたとき、医療過疎地で介護老人保健施設(老健施設)を開業した友人に誘われ、施設長に転身する。今まで知らなかった世界に身を置くと、屈辱感と同時に使命感が湧いてきて…。
——血液内科医から老健施設の施設長へ転身されたきっかけを教えてください。
クリニックと老健施設を開業した大学時代の友人に、「人手が足りなくて困っている。手伝ってくれ」と誘われたことがきっかけです。
声をかけられたのは、ちょうど勤続20年目にさしかかったとき。当時、私は47歳。激務をこなすには、徐々に体力的にしんどくなってきていました。これまで長い間ほとんど休むことなく、いわば一心不乱に仕事をしてきましたから、疲労が知らず知らずのうちにたまっていたのかもしれません。とにかくへとへとな状態で、「何か別のことをやりたい」と思っていたので、あまり悩まずに転職を決めました。
——医局とはもめなかったのですか。
実は、とうの昔に医局とは縁が切れていたので、面倒なしがらみはありませんでした。私は、最初の派遣先だったA病院の指導医B先生に引っ張られる形で、そのままA病院の勤務医になったため、医局には2年もいなかったんですよ。
——転職に当たって周囲の反応はどうでしたか。
いきなり老健施設に行くと言い出したばかりか、その施設が今の住まいから遠く離れた医療過疎地にあると知って二度びっくりしたようです。兄も義兄も医師で教授をしているのですが、当然のように「やめたほうがいい」と反対されました。
長男の受験を控えた時期だったので、妻からは「受験生を置いていくのか」と言われました。当の息子はお目付役のような父親がいなくなって、ちょっと喜んでいたみたいですけど(笑)。
そんな事情があったからではありませんが、そもそも友人の施設では「2年間だけ」の約束でした。だから期日が来たら再び地元に戻るつもりで、その際の勤務先も決めていたくらいです。それが結局、十数年もこちらにいることになるのですから、分からないものです。
——血液内科医時代とは異なる点も多いと思いますが、老健施設での仕事はいかがでしたか。
色々な点で驚きの連続でした。赴任した初日に診た老健施設の入所者は、肺炎を起こしていました。適切な処置をした後、家族に病状などを説明したのですが、「もっとちゃんとした病院で、ちゃんとしたお医者さんに診てもらわなくていいのでしょうか」と言われましてね。「老健施設ってそういう認識なのか。大変なところに来たな」と思ったものです。
また、入所者が転院するとき、先方の医師とのやり取りの中で、その言葉の一つひとつに「ああ、相当下に見られているな」と感じることがしばしばありました。ずっと血液内科医としてやってきて、専門外の部分について不勉強だったのも事実ですが、今までそんな扱いをされてこなかったので、ショックでしたね。ただ「覚悟を決めてここへ来たのだから、気持ちを切り替えないとだめだ」と自分に言い聞かせていました。
——約束の2年が過ぎて、心境の変化はありましたか。
老健施設にいて気づいたのは、誰も本気で取り組んでいないということです。本来、老健施設は入所者が在宅に戻って生活をするために必要なリハビリを実施する役割を担っています。でも実際はリハビリをさほど熱心にやるではないし、例えば熱が出たらすぐに急性期病院に搬送してしまうパターンが多い。
施設長という役割にしてもそう。語弊があるかもしれませんが、やろうと思えばいくらでもやることはありますが、楽をしようと思えばどこまでも楽ができる。経営側としても、ここに第一線級の人材を配置する余裕がないから、医師免許を持った人を形だけ置いているケースも少なくありません。だから雇われている医師も最低限の仕事しかせず、入所者に何かあるとすぐに転院させる。実際、そういう医師を何人も見てきました。
私も正直に言うと、友人の施設にいた2年間はほとんど勉強もしないでぼんやりしていたのですが、雇用期限が近づくにしたがって、このままではいけない、老健施設の現状を変えたいと思うようになったんです。
地元の病院に帰ってもやることは決まっていて、以前と変わらない。それなら、多少の土地勘、人脈ができたここにもう少しとどまって自分自身、納得がいく老健施設をつくりたい。これから先は自分の中で満足できるものをつくり上げて、医師としての人生を全うしたい。この年になって新たな夢、目標ができたのです。