いざ入局してみると、教授が絶対的権力を握っていた。教授に気に入られなければ、たとえ優秀でも地方へ飛ばされ、やりたい勉強もできない。患者ではなく、教授の顔色をうかがう毎日—。そんな日々に嫌気が差し、わずか数年で医局から離れることを決意した、元会社員の精神科医。医師紹介会社に頼らず、自力で転職した先は、以前に医局から派遣されていた病院だった。


堀川和人(仮名)さん
某企業で十数年の間、福祉関係の仕事をした後、医師の道を志す。2003年に関西の某医大を卒業後、出身大学外の医局へ。数年後、医局を辞め、以前派遣されていた関連病院(現在は、医局から医師は派遣されていない)へ転職した。現在40代で、家族は会社員時代に職場結婚した妻と子供2人。

——医局を出ようと思ったきっかけは?


 学生時代から、医局に関するいろいろなうわさは聞いていましたが、実際入ってみると、「医局とはこんなにも、ひどいところか」と思いました。想像以上でしたね。

 僕が所属した医局は、教授が絶対的権力者として君臨しており、教授に気に入られないと、たとえ優秀でも地方に飛ばされるし、やりたい勉強もできないという状態でした。それが直接的な原因かは定かではありませんが、過去には自殺した医局員もいたと聞いています。

 だから局員はみんな、患者さんではなく、いつも教授の顔色をうかがっていましたね。結婚するときは必ず教授に仲人を頼まないといけないし、学位を取るときには「なんぼ積まなきゃあかん」という暗黙のルールもありました。自分の身を守るためとはいえ、僕はそうした毎日に耐えられませんでした。

 僕は会社員時代に福祉関係の仕事をしており、医療関係の方と接する機会が多かったことから、医師という職業に興味を持つようになりました。なので、医師になったのは他の人よりも遅く、入局の時で既に30代。「そう若くもないし、早くいろいろなことを勉強したいのに、ここで本当に学びたいことが勉強できるのだろうか」という焦りもありました。

 そこで、医局に入ってからわずか数年でしたが、僕は医局を離れる決心をし、派遣先だった関連病院へ転職しました。院長から「いずれ来てほしい」と誘われていたことや、実際に仕事をしてみて働きやすさを感じていたことなどが、その理由です。僕がそこで働いていた時期に、その病院が医局人事から外れたことも大きかったですね。