医学部在学中に通信関係の事業で起業。一度はその道を断念して医師となったものの、あまりの業務の苛酷さに医局を離れる。その後、紆余曲折を経て再び事業を興し、現在は「医師」と「経営者」の2つの顔を持つ。「こうした生活が送れるのは、医師不足でバイトでも好条件で働けるから」と話す。


原田信二(仮名)さん
1994年、地方の某国立大学へ入学。大学4年生のときに起業し、ISP事業を始める。約2年間、「医学生」と「経営者」の2足のわらじを履く生活を続けたものの、経営が立ち行かなくなり、会社を清算。経営者の道をあきらめ、大学を卒業後、出身大学外の医局へ。小児科医として約4年間勤務した後、医局を離れる。その後、研究者生活を経て、再度起業する。現在は経営者として事業を展開するとともに、医師としては2カ所の病院で勤務する。30代、妻と2人暮らし。

——学生時代に、一度起業されているそうですが。

 もともと、私は数学やコンピューターのプログラミングに関心があり、医師を志すよりもコンピュータ関連の仕事に就きたいと思っていました。しかし、私が高校を卒業するころは非常に景気が悪く、景気に左右されない安定した職業に就いた方が良いと考えて医学部に進んだのです。ところが、その後、医学生の時にインターネットブームが起こりました。もともと、コンピューターのネットワークにも関心がありましたので、インターネットに絡んだ仕事がしたくなり、工学部の友人と一緒に、小さなインターネットサービスプロバイダー(ISP)の会社を設立しました。

 しばらくは、「医学生」と「経営者」という2足のわらじを履いた生活をがんばって続けていたのですが、そのうち、大手企業が次々とプロバイダー事業に参入してきて、私の会社には勝ち目がなくなってしまったため、5年生の時に会社をたたんでしまいました。

——経営者の道をあきらめ、医師になったわけですね。

 そうです。もともと子供が好きだったので小児科の医局に入りましたが、とにかく忙しかったです。ほとんど家に帰れない状態が何年も続き、「このままでは体を壊してしまう」と思い、医局を離れようと考えました。最初は、医局と話し合った上での「診療科の変更」も視野に入れていました。しかし、当時から既に「人手が足りない」と医局内でいわれていたため、「診療科の変更なんて、認めてもらえるはずがない」と思い、やはり医局を辞めることにしました。

——よく決心しましたね。

 当時、いろいろなブログで、「医局を離れた先生たち」や「医師を辞めた先生たち」が書いている文章を読んだことが大きかったです。オーバーかもしれませんが、医局を離れても、きちんと仕事を見つけて働いていくことが可能なんだということが分かり、辞める踏ん切りがつきました。

 それまで、医局からの離脱はタブー視されていて、医局というレールを外れた医師がどんな生活をしているかという情報は、医局の中にいる医師には全く入ってきませんでした。だから、私も必要以上に怖がっていたところがあったと思います。医局離れの主な要因に新臨床研修制度の導入があると思いますが、ネットの普及で「医局離脱後の情報」が簡単に入手できるようになったことも、要因の1つにあるのではないでしょうか。

 ただ、医局を辞める決意は固まったものの、その後は簡単ではなかったですね。部長に「辞めたい」と言いに行ったのですが、当然認めてくれません。「そんなこと認められない」「いや、絶対に辞める」と押し問答になり、結局、半ば強引に「辞めてもいい!」と言わせる格好になりました。もっとスマートな方法があったのでしょうが、何しろ既に1年間も慰留され続けていたので、こちらも我慢の限界を超えていました。

 もちろん、教授とも話はしました。ただ当時、幸か不幸か新臨床研修制度が導入されて1年くらい経ったときで、医局のマンパワーも、一番不足していた時期でした。欠員の補充などに手一杯で、私1人に構っていられなかったのでしょう、最後は「好きにしていいよ」という感じでした。