医学部の卒業、医局への入局、系列病院への勤務——ごく当たり前に医師としてのキャリアを積んでいた河合さんを突然襲った、勤務病院での医療事故の発生、医局の教授が急逝するというアクシデント。それがきっかけで、退局を決意し、しかもそのわずか3カ月後には総合病院への転職を決めた。


河合英樹(仮名)さん
2000年に医科大学を卒業後、付属病院の医局に入局。系列病院などに勤務した後、2005年に医局を辞め、現在の勤務先である総合病院に転職。父親は開業医、妻は内科医。将来は実家に戻ってクリニックを継ぐ予定。

——医局を辞めようと思ったのは?

 大学を卒業した後入局し、2年ほど付属病院に勤務していました。その後、総合病院への出向を経て、系列病院に勤務していたのですが、その病院のある診療科で医療事故が起きてしまいました。それが大きな問題となり、院内改革が進められたのですが、逆に職場環境がどんどん悪くなっていきました。

 特に整形外科医として、テクニックを学べなくなってしまったのは大きな痛手でした。医療事故を起こしたのはベテランの医師だったのですが、病院はなんと若手の医師に手術をさせないことにしてしまったのです。「それではトレーニングが積めない!」と、病院の幹部に直談判したのですが、それがもとで、幹部と折り合いが悪くなってしまいました。

 それでも、「少しの間我慢していれば、人事異動があるだろう」と思っていたのですが、今度は医局の教授が癌で急逝してしまうというアクシデントが起きました。そして、その影響から、人事が向こう3年間凍結されることになってしまったのです。手術はできない、上層部と折り合いも悪い、異動も無理となれば、「医師としての成長は望めない」と思い、医局を辞めることを決意しました。

 ただ、通常は退局を申し入れても、1〜2年は勤務してからでないと辞められないものなのですが、今回はそんな事情もあったので慰留はされずに済みました。

——転職活動はどのように行ったのでしょう。

 その年の12月に退局を申し入れ、翌年3月までの勤務となったので、早急に転職先を決めなければなりませんでした。その大学病院では、給料は手取りで二十数万円。当時、貯金もできなかったため、仕事をしていない空白期間は作れなかったのです。

 そこで、大学病院での仕事を続けながら、少しでも効率よく短期間での転職活動を進めるために、インターネットで医師紹介会社を検索し、最初にヒットした会社に登録しました。