「船を離れたら溺れ死ぬだけだ」——医局を離れる医師に対して、そう思っていた自分。だが、まさか自分が船を離れることになろうとは…。“格下”病院への出向を命じられたのを機に、不安を抱えながらも転職を決意。現在はキャリアを正当に評価された病院で充実した日々を送る。


中山浩司(仮名)さん
1960年代生まれ。私立医大を卒業と同時に、母校の内科へ入局。大学院医学研究科修了後、研修を経て、母校の附属病院に7年間勤務。2000年に市中病院へ出向。翌年、出身地方の一般病院へ転職。現在は同一般病院で内科部長を務める。

——母校の附属病院から出向後、わずか1年で転職された経緯を教えてください。
 4月に他大学から新教授が赴任してきまして、6月に市中病院への出向を命じられました。その病院が、自分にとって満足できるところではなかったのです。

——どのような点が不満だったのでしょう?
 私が出向を命じられた先は、オーナー経営者がいる個人病院でした。今の若い医師とは価値観が異なるかもしれませんが、私には個人病院はその地区の基幹病院やそれに準ずる病院に比べると、医療レベルが低く“格下”という意識があります。その当時、私は30代後半で、専門医や指導医なども取得していましたから、年齢や経歴からすればもっと医療レベルの高い病院で働きたいと思っていたのです。

 自分の納得のいく出向先であったなら、たとえ仕事が大変でも給与が安くても、転職は考えなかったと思います。しかし、「その程度の病院」と思っている所へ行けということは、裏を返せば自分に対する評価が「その程度」だと受け取り、その個人病院に勤務しながら転職先を探しました。

——当初から医局を離れるつもりではなかったのですね。
 ええ、もちろん。むしろ自分が医局に属していた頃は、医局人事を離れる人たちを批判的に見ていました。「船(=医局)を離れたら、溺れ死ぬばかりだ」とまで思っていたので、まさか自分が船を離れることになるとは思いもよりませんでした。ですから、転職を決意したものの、医局を離れることは不安で仕方がなかったです。その不安を煽るようなことを言う同僚もいましたね。