連日の当直、度重なる緊急オペ——。過酷な労働環境ながら「医師とはそういうもの」という認識から、身を粉にして患者を診てきた。しかし、長年医療に携わってきた過程で見えてきたものは、こき使うだけ使い、何の保障もしてくれない医局の姿だった。


阿部 薫(仮名)さん
1990年に私立大を卒業後、出身大学の医局へ入る。関連病院勤務、大学病院講師を務めた後、約4年前に医局を離れる。総合病院、介護老人保健施設を経て、現在は50床ほどの一般病院に勤務。専門は外科、消化器外科だが、今は内科や整形外科、在宅医療も手掛ける。40代、妻と2人暮らし。

——医師になった理由から教えてください。
 父が小児科の勤務医をしていたのが一番の理由です。父はとにかく忙しく、正月でさえ家にいなかったし、夜中もしょっちゅう病院から呼び出されていました。僕は父のそうした背中を見て育ちましたが、不思議と「忙しそうで嫌だ」とは思わず、「やりがいのある仕事なんだな」と魅力を感じて、医師になりました。

 私が医師になった頃は、大学を出たら母校の医局に入るのが当然で、「将来、医局を出よう」という考えは微塵もありませんでした。ところが、20年近く医局にいる間に“内情”がよく見えてきたことで、4年ほど前に医局を離れる決心をしました。

——“内情”がよく見えてきたとは、どういうことですか?
 医局という存在が抱えている、裏の部分を理解してきたということです。例えば、権力を笠に着た教授の横暴を結構目にしました。配下の医師の業績を自分のものとして発表したり、医局に配分された研究費を自分の思うまま自由に使ったり、私物を医局のお金で買ったりもする。もちろん、真面目な教授も中にはいましたけど、そんなことを平気でする教授を数多く見てきました。

 また、人使いの荒さも際立っていました。例えば私が研修医だった頃は、「研修医=学生」と見なされていたので、月給は6万円とかなり低く設定されていました。当直なんて山ほどやり、家に帰れるのは月に数日のみ。それでも、病棟の当直はボランティア扱い。たとえ緊急オペが入っても何の手当も出ず、それが当然のこととしてまかり通っていたのです。これに関してはほかの大学病院も似たり寄ったりだと思いますが、その医局では在籍していたある医師が当直先で亡くなるという事態にまで行き着いてしまいました。たぶん過労死だと思います。

 僕自身、これまで「医師とはそういうものだ。しょうがない」と思ってやってきましたけど、だんだん「これは、おかしくないか?」と思うようになってきた。当直をやって、緊急オペをやって、次の日にまたオペをして、その上、診断書や保険会社の書類を書くなどの雑用もすごく増えている。いつミスが起きてもおかしくない状況です。

 それに、訴訟のリスクがこれだけ高まっている状況下で、病院側はさらに難易度の高い最先端医療に取り組むよう指示をしてきます。この指示自体は仕方のないことですが、何かあったときには後ろ盾にもなってもらえず、恐らくすべて自己責任になるでしょう。病院や教授が何かしてくれるなんてことは、これまで医局で見聞きしてきたことを踏まえれば、まず考えられません。コメントくらいはしてくれるかもしれませんが、恐らく解雇されて終わりでしょう。

 そういった色々なことを目にしたり感じたりしてきたことから、自ずと「このまま医局にいるのがバカバカしい!」と思うようになりました。どうしても教授になりたければ別ですが、そうでなければ医局にいる必要はないし、特別恩があるわけでもない。それで外へ出たんです。医師として既に20年くらいのキャリアを積み、専門医や指導医の資格も取っていましたから、医局を出ても自分の力でやっていく自信はありました。

 医局を辞める半年くらい前から、「大学病院から離れてもいいかなと思っている」と教授には話していましたが、特に引き止められはしなかったですね。私と同じような結論に至ったのか、その年は一気に3人が辞めました。今は、当時いた医師の半数ぐらいが医局を出たようです。