そう決心した途端、「透析管理とシャント手術ができる医師」「乳ガン検診ができる医師」を探している病院の求人を見つけました。透析でそこそこ有名な病院だったので、シャント手術症例やシャントPTA症例も多く、また透析患者の合併症も多く経験できるだろうと考え、飛び込みました。外科手術をあきらめた代わりに、当面の目標を透析医学会専門医と指導医の認定の取得に定めました。
その病院では、外科手術も行っていましたが、やはり手術レベルは低かった。2カ月間に3人の透析患者の外科術後患者で縫合不全が発症していました。こんな状況はとても黙って見てられません。そこで、カンファレンスで外科医の「術前のリスク評価の甘さ」と「術後管理」を非難した。カンファレンスといっても、形式的な手術予定や手術後の経過報告をするだけのもので、そもそもカンファレンス事態が機能していなかったので、そのことも含め、院長、副院長を前に病院の体制の不備、外科医のレベルの低さを批判したのです。
当然、病院には居づらくなりましたが、私のことを理解し必要としてくれるスタッフもいましたし、すぐに辞めようという気持ちはそれほど強くありませんでした。
しかし、以前、一緒に働いていた検査技師が、透析クリニックの管理医師が辞めるので探しているという話をしていたのを思い出し、新しい場所で管理医師として、自分がどこまでできるかを試すチャンスと考え、結局、病院を辞しました。入職して5カ月目でした。
管理医師となりマネジメントの楽しさに目覚める
—そして現在のクリニックに移られたのですね。
2007年1月から現在のクリニックに管理医師として入職しました。しかし、このクリニックもひどいものでした。患者の合併症管理やリン・カルシウムなどの管理などが十分ではなく、ただ定期的に透析を行っているだけ。スタッフは何の教育もなされていない、さらに年間1000万円を超える赤字といった有様です。でも、慣れとは怖いもので、医局の外はそんなものという諦観があり、もう大して驚きもしませんでした。
ここでは、私は管理医師ですから自分の好きなようにやれる点がこれまでとは違います。そこで、まず、約100人の患者の病態を把握し、合併症の治療、リン・カルシウムなどの管理に努めました。そして、看護師、臨床工学士、栄養士たちの教育を一からやり直しました。最近、やっとチームワークが生まれ、目標を持って動いてくれるようになってきました。また、患者が少ない夜間透析はフロアを限定し効率化を図り、近隣病院と連携して患者さんを増やすなど、経営改善にも取り組んでいます。
まだまだ至らない点はたくさんありますが、マネジメントすることで組織が変わっていくのは楽しいですね。余計なストレスもないし、100%満足とは言えないけれど、やっと落ち着く場所が見付かった気がしています。